
前回(終わりの時を決めてからの変化)からの続きです。 思考錯誤で方法を変えることもある 留学から帰ってきて、早10年が経ちました。その間、会社員を経験し、今から1年半前、その会社員を辞めました。なぜ、あれほど「自分的には…

前回(終わりの時を考えるということ)からの続きです。 “流される”から“自分で決める”へ 自分の最終目標を「笑って大往生」と決めてから、無意識的に自分のものごとの捉え方や行動が変わっていったように思います。一番初めに変わ…

自分が日々過ごす上で、なんとなく心掛けているというか、これをしているとなんだかいいぞと感じていることがあります。それが、「終わりの時を考える」ということです。 終わりの時ってどんな時? それはその言葉どおり、何かを始める…

前回(涌谷町立資料館)の続きです。 涌谷城跡にある涌谷町立資料館をあとにし、お次は今回のお目当ての地、黄金山神社と天平ろまん館に向かいました。資料館からは車で5分ほどです。 車で走っていたら、なにやら目立つ建物が見えて来…

最近興味を持っている蝦夷(えみし)について調べている中で、東北が金の産地であったということを知りました。そういえば、中尊寺の金色堂で有名な平泉も、東北の地でした。この地で栄華を誇った奥州藤原氏。マルコポーロが東方見聞録で…

前回(【選挙】どの党・どの候補者に入れるか比較して考えてみるということ)からの続きです。 選挙を明日に控えて、政党・政策マッチングサイトを眺めたり、争点について調べているときに、個人的に今さらながらにふと思ったことです。…

気づけば、もう明日が選挙の当日です。まだ、誰に、どの政党に投票するか決まっていません。 選挙権を得られるようになって、もうかれこれ10年以上。ひとりの国民として自分に与えられたひとつの権利ですし、これまで棄権をしたことは…

前回③からの続きです。 「何に従って生きるのか」に向き合えているか 振り返ってみると自分は、幼い頃からいわゆる場の「空気」というものに、何かしらの警戒心のようなものを感じている気がします。 学校のクラスの中で生まれる「○…

前回②からの続きです。 状況や時代によって変わってしまう脆い価値 ここで、自分の目に強烈なインパクトを与えたものがありました。それは、「誉れの家」という言葉と、展示されていた勲章。それと“戦中においては戦死はお国のためと…

前回からの続きです。 終わった後に残ったのはやり場のない憤りと虚しさ 昭和館では、2フロアに渡ってそれぞれ戦中と戦後の社会や人々の生活について展示がされています。今回もお馴染みの音声ガイド(無料)をお借りし、ひとつひとつ…

自分は常々、「組織」というものは大きさや構成している主体は違えど、そこで繰り広げられる様々な反応というのは、同じように置き換えて見ることができるものだなぁと感じています。例えば、人間で構成する組織としては、家族、地域、会…

前回(このサイトをつくろうと思った理由)からの続きです。 自分の存在価値はわからなくても わたしたちは、日々生きている中で、何かしら自分にとっての好き・嫌い、快・不快、嬉しい・腹立たしいなどの色んなサインを、自分の内側か…

みんながみんなで幸せになれる価値観、価値基準ってないのかな? そう考えた先に今自分にできること。それが、「自分の中に生まれた声をかき消さないで大事にすること」だったからです。 幼い頃からなんとなく、この世の中は何かがおか…

やっぱり今回も全部見きれなかった科博 これまでも何回か行ったことがあった科学博物館。いつも企画展と合わせてだったということもあって、常設展を全部見ることができたことがなかったので、今回は全部見てやるぞ!と朝一で乗り込んで…

この状況をどうしたら変えられるんだろう? 「悪いな、よくないな」と思いながらも行動を変えられないのは、倫理観が欠けているとか、意志が弱いとかということではなく、私たち人間が社会というベルトコンベヤーのような“システム”の…