終わりの時を決めてからの変化

朝日

前回(終わりの時を考えるということ)からの続きです。

目次

“流される”から“自分で決める”へ

自分の最終目標を「笑って大往生」と決めてから、無意識的に自分のものごとの捉え方や行動が変わっていったように思います。一番初めに変わったのは、おそらく、「後ろ向きの考え方をすることや、そういう言葉を使うのはやめよう」ということかなと、振り返ってみて思います。

大きく自分の中で、社会や周りの人たちに対する苛立ちや偏見、蔑みの気持ちが変化したのは、まだしばらく経ってからのことですが、「笑って大往生」できる人は、こんな嫌な気持ちに包まれた人であるわけがないと、まずは、これまで自分の中に充満していた負の感情をこれ以上生みださないようにするにはどうしたらいいかと考えてみました。そのときに、思いついたのが「後ろ向きの考え方や、言葉はやめよう」でした。

当時だいぶネガティブだった自分は、自分をすくい上げてくれる何か救いのようなものを求めていて、書籍などで見つけた古今の偉人たちの名言を、自分だけの名言集とした小さなメモ帳に書き留めていました。そしてそんな時に出会ったのが、フランスの哲学者アランの

悲観主義は気分によるものであり、
楽観主義は意志によるものである   『幸福論』

という言葉でした。
まさにその時の自分を言い表しているような言葉に、胸を射抜かれたような気持ちでした。

そうか、確かに自分は感情や気分にただ飲み込まれていただけだった。そして、これから自分は「後ろ向きの考え方や言葉はやめよう」という意志で変わろうとしている。また、感情や気分に流されているというのは、きっと自分以外の人やことに目が行ってしまっているからだ。環境に依存しているから振り回される。逆に、自分で「こうしよう!」と決めて立てれば、環境がどうであろうと、自分の道や人生を切り開ける。それが希望や、楽観に繋がるということか。

それまで、楽観も悲観も、その人が持っている性格や傾向のようなものだと思っていたので新鮮でしたし、その時の自分を的確に表現してくれているこの言葉に勇気をもらった気がしました。

そしてそれ以降も、今振り替えてみたら「笑って大往生」が根底にあるなぁと思う自分の思考や行動にはこんなことがあります。

 笑って大往往生 

=後悔がない →自分の心が喜ばない道を歩かない、生き方をしない。

=生き切った!という達成感 →自分の命の使い方を考える。使命

=布団の上で安らかに=健康で自然な体 →体に自然な食べ物、体に自然な運動

=心に傷をつけない →悪いことをしない、人を傷つけない

=自分の死を惜しんでくれる人たちがいる笑 →人や社会に喜ばれる存在に

「笑って大往生」する。そのときの心と体はどういう状態かを考えました。最期の時には、これまでの自分の人生を物語る、嘘偽りのない形相が満面に溢れてくるであろう。本当に心の底から笑顔になるのは、どういう人生を送った結果なのだろうか。どれだけ人生の過程で成功をおさめても、悲しい最期はいやだ。晴れ晴れとした気持ちで逝きたい。

上の例を見ると、何かを決断する際には、“笑って大往生できる、心と体の状態に近づくかどうか”ということを、無意識のうちに自分の判断軸としてきたようです。

お~、なるほど、会社員時代に読んだ本や経営者さんたちの言葉で、「目標が大事」みたいなことがよく言われるけれど、こういうことなのか。目標が思考をつくり、思考が行動を創っている。

何者になるか、より、どう在りたいかを考えた

そこでまず初めに考えたのが、自分の進路についてでした。おそらく当時、まだ大学2年ぐらいでしたが、一応、それなりに名の知れた大学でしたので、周りの学生さんたちは、既に卒業後の進路を見据えて、資格の専門学校に通ったり、マス研(マスコミ研究会)などに所属して、経験づくりや、OBの人たちとのコネクションづくりをしたりと、積極的に学生時代から進路のための活動をしているようでした。

「自分にとっては、まだ先のことだな~」ぐらいにしか考えていませんでしたが、実際、卒業後に自分が何をしたいか考えてみたときに、一番強く思ったのが「とりあえず就職活動はしたくない」でした笑。

本当にどうしようもない理由ではありますが、みんなで同じような服装をして、リ●ナビというシステムに登録して、面接に行って、問答集のようなもので練習した言葉たちを発して、採用してもらう、みたいな一連の行動の流れが、本当にもう気持ち悪くて、自分はそのベルトコンベヤーには乗りたくない!という生理的な拒否感だけが、まずありました。

軍隊みたいであり、工場のレーンを流れて行く商品のようなイメージ。商品に適しているかを素材の段階で選別され、あとはレーンに乗っているだけで、色んな工程を経ながら、最終的にはみんな一寸違わずきれいにパッケージされた商品になって出荷されていく。軍隊や商品は統一化させる理由があるけど、就活ではなぜ、みんなそれぞれ違うものを持った人たちなのに、同じ「姿」になろうとするんだろう、気持ちわるっ!。

工場のライン

きれいな製品になっていく。

こういう風に自分が捉えているものに、「これこそが王道」とでも言うように、なんの疑いもなく、むしろ当然のようにそのレールに正面切って乗っていくまわりの学生さんたちの様子も、私を苛立たせる要因でもありましたが、「笑って大往生」を決めてからは、とりあえず「その人たちはその人たちだから」と気にすることをやめるようにしました。

というわけで、まず自分の中から「会社員になる」という選択肢が消えました笑。今であれば、別にリ●ナビを使わなくったって、就活をしなくたって、会社員になれる方法は考えられますが、当時は会社員になる=要就活だと思っていたので、ある意味それも、そういう選択肢しかないと自分自身が毒されていたってことです。

会社員でなければどうするか?う~~ん・・・・。

「何になるか」という考え方は、自分にはとても窮屈で答えが出なかったので、発想を切り替えて「どういう人で在りたいか」を考えました。Become ではなくbe。その時思ったのが、「自分で“こうしたい”とか“こうだったらいいのに”と思うことを、自分で創れる人で在りたいな」ということでした。それができたら、どんな状況でもとりあえず生きていけそうだから笑。

そして、自分で創るへ

元々、幼い頃から、裁縫や料理、編み物といった、自分の手を動かして何かを創ったりすることが好きでした。そのため、職人さんという人たちに憧れたこともありましたが、じゃぁ何を創るのかとなると「コレ」というものがなく、ただ「創ること」が好きなんだなぁと。

また、「気に入るものがなければ自分で創ればいい」というポリシーみたいなものも、昔から自分の中にありました。そのため進路についても、「自分がいいと思う道や方法がないなら、自分で創ればいい」という気持ちもありました。とにかく、自分がいいと思わないものを「こうしなさい」と押し付けられることが嫌いなたちなのかもしれません、わがまま笑。

それと合わせて、既にお話したような社会への苛立ちや、世間から突き付けられる「これが正しい道」「こうあらねば幸せにはなれない」みたいな無言の空気に息苦しさを感じていたので、そういうものから解放されて、自分を自由にしたいという思いもあり、その手段として、芸術という創作活動を日本以外の国でやろうと考え付きました。

そのことが自分の中で決まれば、また動きが変わります。芸術留学をするための方法を調べたり、学校の資料を取り寄せたり、ブリティッシュカウンシルに行ったり。学費を貯めるために、バイトも2つ3つ掛け持ちしたりもしました。

そして、結局自分のお望み通り笑、就職活動は全くせずに大学を卒業し、一年専門学校に行って英国の大学に芸術留学しました。このことは、自分にとって大きな転機になったのですが、この話はまた改めて。

次回③に続きます。

終わりの時を考えるということ
②終わりの時を決めてからの変化
③自分の人生という作品

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