戦時中の「国家と国民」と、現代の「会社と社員」は似てると思った②

戦士

前回からの続きです。

目次

終わった後に残ったのはやり場のない憤りと虚しさ

昭和館では、2フロアに渡ってそれぞれ戦中と戦後の社会や人々の生活について展示がされています。今回もお馴染みの音声ガイド(無料)をお借りし、ひとつひとつ見ながら進んでいきました。各々の箇所で思うことは色々ありましたが、今回無性に自分の感情が揺さぶられたのは、この2つのコーナー。

ひとつめは、「昭和20年8月15日(終戦)」のコーナー。戦中のフロアから戦後のフロアに降りる階段の踊り場にあります。今回、昭和天皇の玉音放送の全部を初めて聞きました。そして文字としても読むことで、「こんなこと言っていたんだ」と初めて知りました。昔の言葉なので正確にはわかってはいないと思いますが、文字やそのニュアンス、わずかながらの当時の情勢に関する自分の知識をあてはめながら・・・(玉音放送はこちらで聞けます)。

その声が終わり、自分の中にわきあがった感情は、こんなもどかしい怒りのようなものでした。

「今更、よく言うよ!!!」

自分にはテレビや映画、こういった資料館で見聞きしてきた「戦争」のイメージしかないので、本当に当時を生きていた方たちが感じていた感情をリアルに感じることも語ることもできませんが、でも、その乏しい知識とイメージの中でおそらく自分は、大切な人を戦争に送り出し、また自分も恐怖や不安にかられる日々を送っていた当時の一女性になって聞いていたんだと思います。

「いったい、これまでのことはなんだったのよ・・・。」と、膝から崩れ落ちるような感じ。

悲しみにくれる

「始めたからには勝ってほしかった・・・」というものではなく、大事な人を失ってしまったこと、自分や家族、この国の人たち全員が感じてきた恐怖と不安が、一瞬にしてなかったことにされたかのようなことにいたたまれなくなりました。

「あなたたちが、始めたことじゃないか。絶対勝つって言ったじゃないか。我慢しろって言うから我慢したじゃないか。いなくなったあの人はどうしてくれるのさ。恐怖と不安に耐えてきたこの数年を返してよ。戦争する以外に他に何か方法はなかったの・・・?。」

そして、

「こういう結果になってしまって申し訳なかった」とか「今まで本当に辛い中耐え、頑張ってきてくれてありがとう」を言うことなく、「みんな頑張ってくれている けど、状況はどんどん悪くなっているから、みんなを守るためにやめるよ」とか「これから平和な国にしていくために、また大変なこともあると思うけど、一緒にがんばっていこうぜ」という天皇の言葉に、さらに何か自分の中でおさまりのつかないモヤモヤが。亡くなられた人、残された人を思うと心が痛むとは言われてるけど、それがなんかもう、苦しみとは別のところにいる人という感じ・・・。

おさまりがつかなくて、思わずそのことを一緒にいた友人に話 したところ、「天皇だけが悪いわけじゃないし。それに謝られたところでね。これで戦争が終わったんだからよかったんじゃない?」との返答。まぁ、そうだよね。わかっている、わかっている、それは私もわかっている。謝ってもらったってありがとうの言葉をかけてもらったって何も変わらないし、そんなことを思うのは八つ当たりだし、自分の知らない彼らの事情や苦悩だってあるのかもしれないです。自分はちっぽけで浅はかでガキなんだってことは頭ではわかっていま す。だけど、なんか釈然としないんだもの。。。ちょっとでもそういう言葉があったら、行き場のなくなった怒りや虚しさもちょっとは救われるし、「うん、そうだよね、こうするしかなかったのかもしれないし、あなたたちだけが悪いわけじゃない。これから一緒にがんばっていきましょう」って思えるのが人情ってもんじゃないのかと思うのです。

こんな感じで、なんとなく、払拭しきれないモヤモヤと自分のどうしようもなさに残念な気持ちになりながら次のコーナーへ。そしてそこにあったのが2つめの揺さぶられコーナー、「残された家族」です。

次は③です。

全然知らないままでいた日本の歴史、戦争のこと
② 終わった後に残ったのはやり場のない憤りと虚しさ
状況や時代によって変わってしまう脆い価値
「何に従って生きるのか」に向き合えているか

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