宮城の博物館*黄金山神社と天平ろまん館に行ってきた

小金山神社

前回(涌谷町立資料館)の続きです。

涌谷城跡にある涌谷町立資料館をあとにし、お次は今回のお目当ての地、黄金山神社と天平ろまん館に向かいました。資料館からは車で5分ほどです。

天平ろまん館 駐車場

まずはこちら、天平ろまん館

車で走っていたら、なにやら目立つ建物が見えて来ました。

これまで見てきた城柵内にあった復元した政庁や、前日に行ってきた奥州市埋蔵文化調査センターにも見られたように、ここにも朱塗りの柱が。そういえば数年前に行った奈良の平城京を思いだします。日本風というより中国の宮廷という雰囲気は、それもそのはず、当時の中国、唐の都長安を模したものだから。遣隋使とか遣唐使という言葉は覚えていたけれど、「あ、そうか、その時に中国風なものがたくさん入ってきていたのか」と改めて腑に落ちました笑。

天平ろまん館 正面

建物の正面向かって右側がレストランと直売所、左側が歴史館となっています。

ここにもおなじみの音声ガイドがあり、しかも無料とのこと。早速お借りして観覧スタート。

平日の昼間だったので他の拝観者はおらず、ゆっくり見学できました。ガイダンスポイントは20数か所あって、結構盛りだくさん。世界各地で採れる砂金の展示に始まり、当時の時代状況や、奈良の大仏様のつくりかた、採金の技術や涌谷町のことなどが、解説や模型、映像とともに展示されています。途中、平安時代の庶民と宮廷の人の服をお試しで着られる場所もありました。

目次

奈良の大仏様を救った涌谷の金

ところで、この地で金が産出されたとされる740年ごろは、ちょうど平城京の聖武天皇が、国家の一大事業として奈良の東大寺に大仏を造立していた頃です。今ではあの大仏様は黄金色には輝いていませんが、元々は表面一体が鍍金されていたらしいです。

ですが、当時国内で金は採れなかったので、朝鮮からの輸入に頼っていました。このままでは金が足りない!という状況だったところに、涌谷で金が採れたという朗報が。それはそれは聖武天皇も大喜び。元号を、それまでの「天平」から「天平感宝(てんぴょうかんぽう)に変えたほどの喜びよう。おかげで奈良の大仏様はピカピカに。

奈良の大仏様

(photo by:大人になってから学びたい日本の歴史:大仏建立の裏話が興味深いです)

そしてここで金が採れたことが、その後、大和朝廷がこの地とここに住んでいた蝦夷(えみし)の人たちを征服する、さらに強い動機付けになったのです。

世界では似たようなことが起きている

こういう話に触れるたび、いつも南米の古代文明や、北米のネイティブアメリカンの歴史が思いだされます。彼らも蝦夷の人たちと同じように、ヨーロッパ人に「未開人」だの「野蛮人」だのと蔑まれ、持っていた金銀類は収奪、人々は殺され、文明・文化は崩壊しました。例えば、インカ帝国を滅ぼしたスペインのピサロとか(詳しくはこちらに。:世界史の窓)。

私の浅い世界史の知識だけであっても、地球上ではこれまで何度も何度も収奪・殺戮・征服が繰り返されているということを知っています。むしろそれが「人間の歴史」とも言えるのかもしれません。

「俺のものは俺のもの。あいつのものも、俺のもの。」とでも言うような、一人の(一部の)お山の大将が大きな顔している状況は、かたちを変えて現代にもそのまま続いているように思います。

全てが一部の人たちの手の中にある、という世界はどうしたら変わるのだろうか。こういうお山の大将を放っておいても、全てがうまくまわるような仕組みはどうしたらできるのだろうか。

というようなことを考えたりもしながら、一通り展示を見て外に出ると、黄金の鳥居が笑。

黄金神社の鳥居

The 黄金

まぁね、確かに金が出たところだし、黄金山神社だけども・・・。まだ色も新しい感じもあって、なんだかあまり品はよろしくないな・・・笑。経年変化でいい味が出てくることを願います。

いざ黄金山神社へ

万葉の里 案内図

黄金山神社あたり一帯はこんな感じになっています。わくや万葉の里と呼んでいるらしい。左下にある縦長の建物が、さきほどの歴史館。右上に向かってのびる道の先に、黄金山神社があります。

黄金の鳥居から神社まで、しばらくまっすぐ歩いていきます。途中、歌碑などのモニュメントがところどころにあったり、源氏ボタルの生息地があったり。ゆっくり歩いても5~10分ぐらいですが、お社にのぼる階段の下にも駐車スペースがあったので、ちょっと歩くのがしんどい時はそこまで車で行っても大丈夫そうです。実際、この道を車が走っていました。

黄金山神社への道

天気もよいのでお散歩

黄金山神社 ホタル

へぇ~、ホタルがいるんだ!

黄金山神社

お、お社が見えて来ました。

黄金山神社 案内

階段の下にあった案内板。ここまでは車で来られます

黄金山神社 参道

一気に厳かな空気。

黄金山神社 音声ガイド

ん、なんだこれは!

お社の前におもむろにあった音声ガイダンスの箱。屋外で風雨にさらされる場所にある強気さに驚き。赤いボタンを押すと、どこかの大学教授さんが楽しそうにこの黄金山のことと、ここに書かれている大伴家持(おおとものやかもち)さんの歌についてお話してくれていました。しかも、結構たっぷりと(あくまで個人的な所感です)。

ひと気も少ない静かなお山の中に響く、楽し気な教授の声。古代の史跡の中に映える、現代的装置。厳かでありつつ、なんともシュールな空間がなかなか乙でした。

黄金山神社 歌碑

大伴家持さんの歌が彫られています

こちらの碑が記念に飾られているように、この地は万葉集に詠われた最北端の地ということもポイントのようです。

この歌の詠み手である大伴家持さんの名前だけはなんとなく記憶にあります。調べてみると、どうやら万葉集の編者でもあり、全部で約4,500首あるうちの約470首、つまり1割以上はこの大伴さんが詠んだ歌とのこと。しかも当時は越中の国守として、今の富山県あたりに赴任していただいぶお偉いお役人さんだったようです。役人をやりながら歌人もだなんて、なんとまぁ優雅なご身分でいらっしゃる。

歌の内容はこちら。

須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流
美知能久夜麻爾 金花佐久

すめろきの みよさかえむと あずまなる
みちのくやまに くがねはなさく

(口語訳)
天皇の御代が繁栄するだろうとて、東国の陸奥山に黄金の花が咲き誇る
東国の陸奥の山に黄金の花が咲いたおかげで、天皇の御代は益々栄えるだろう

その後の782年、家持さんは陸奥(東北一帯)の政治・文化・軍事の中心、国府である多賀城に陸奥按察使として赴任します。ちなみに蝦夷のアテルイさんの時代に登場する坂上田村麻呂さんは、さらにその後の796年に陸奥按察使となります。

お~、なるほどそこに繋がるのか~と、自分がこれまで持っていた知識と、前後関係や横の関係を繋げていくのも歴史を知る楽しさのひとつです。

 

施設名 天平ろまん館
URL http://www.tenpyou.jp/
住  所 宮城県遠田郡涌谷町涌谷字黄金山1-3 MAP
アクセス (電車)JR石巻線 涌谷駅からタクシーで10分
(車)三陸自動車道 松島北IC→国道346号経由 約30分
営業時間 9:30~17:00 ※11月~3月は16:30まで
休  館 なんと年中無休!
料  金 歴史館 )一般・大学生 500円 小中高校生 200円
砂金採り)一般・大学生 600円 小中高校生 500円
駐車場 無料駐車場 あり(普通自動車100台)
観覧時間目安 30分
(うしじま観覧時間:1時間)

 

施設名 黄金山神社
URL http://wakuya-koganeyama.info/kogane-annai/index.html
住  所 宮城県遠田郡涌谷町涌谷字黄金宮前23 MAP
アクセス (電車)JR石巻線 涌谷駅からタクシーで10分
(車)三陸自動車道 松島北IC→国道346号経由 約30分
拝観時間 常時
駐車場 無料駐車場 あり
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