前回②からの続きです。
状況や時代によって変わってしまう脆い価値
ここで、自分の目に強烈なインパクトを与えたものがありました。それは、「誉れの家」という言葉と、展示されていた勲章。それと“戦中においては戦死はお国のためと称えられ、恩給の給付や周囲の励ましに支えられていたが、戦争が終わると遺族に対する想いは一変し、恩給は停止、遺族を取り巻く環境はますます厳しいものとなっていった”という解説でした。
この一角にも他と同じく、当時の物品や解説の文章があったのですが、この印象が真っ先に来てしまったので、他のものは思い出せません。
他の戦争関連の資料館などに行ってもいつも思うのは、「何に従って生きるのか」の重大さです。こういうところには、戦死された方たちのお写真や、家族へのお手紙、友人や家族から贈られた応援の品などが飾られていますが、そこには、「お国のために命を懸けるんだ」という純粋なまでの想いや誇らしさ、笑顔が見て取れます。もちろん、検閲があるため本心を書けなかったり、そういうことを発することができない空気によって自粛していることもあると思います。家族のため、仕方なく赴いている人たちが大半だろうと思います。私もこういう場で彼らの様子に触れるまではそうなんだろうなと思っていましたが、そこで見る彼らの笑顔や誇らしげな顔つきからは、本当に彼らは純粋に自分の「使命」がここにあると思っていたのかもしれないと伝わってくることに意外な驚きがありました。
そして、その想いや志、誇りの高さが伝わって来ればくるほど、「戦争」を行う時代があったということが薄らいでいっている現代を生きる自分には、その輝きを虚しく感じてしまうことが切なく、また、「もし、この想いや志が他のことに向けられていたなら・・・。もしこのように、国のために命をかけられるような人たちが今も生きていたら、今の日本はどうなっていたのだろう。彼らは今の日本をどう思うのだろう・・・」という、「もしも」を考えて心苦しくなるのです。
どれだけ純真で高貴な志やその行動も、一時は最高の誉れと称えられても、時が経つと忘れられてしまったり、そこに価値を見る人がいなくなってしまう虚しさ。さらには、今日自分がテレビのニュースなどで耳にする「靖国問題」「戦犯」などという言葉からは、戦没者の方たちを慰霊することがなんだか悪いことかのようにさえ思ってしまう人も少なくないと思います。そこに飾られていた勲章が、なんだか淋しく佇んでいました。
彼らが戦争を通して行ってきたことが正しかったのか間違っていたのかということは、今の私にはわかりませんし、私が言えることでもありません。極限状態に陥った時、私も「人間」でなくならないと言える自信はありません。ただ、“何に従って生きるか”によって、人を傷つけることが「正義」であるという行動に向かったり、国のために命を落とすことが「誉れ」であるという思考になることの恐ろしを感じるとともに、もうこのような虚しいことは繰り返してはいけないなということを痛切に感じさせられました。
現代の戦士たち
そこで、ふと、これまで会社員として過ごしてきた自分や周りのこと、最近ニュースで賑わっている、大手有名企業で発覚している数々の不正問題などが頭をよぎりました。「なんか、似てるかも・・・」。会社という組織の中では、会社の業績を上げるためにみんな一生懸命です。会社に対して貢献するほど、昇給や昇級という「誉れ」や「勲章」を与えられます。あるいは、そこの一員でいるからには従わざるをえなくて、自分の本心とは違っていても、「誉れ」や「勲章」をもらえるから、家族のため、自分の将来のためと耐え忍んでいる場合もあると思います。まさしく戦時中の国民のようです。ただ、その状況自体が悪いというのではなく、その向かう先がどこなのか。本当に自分もよしと感じられることなのか・・・。
はなから悪事をしてやろうなんて思ってやっている人や会社なんて大抵はないです(と信じたい)。だけれど、あるとき、自分の身、社員の身、そのおおもとである会社を守るためには、「そうするしかない」という思いから、道を踏み外してしまう。お客様を喜ばせようとした結果、技術や売上が上がるのに、技術や売上が上がってると見せることが第一になってお客様をないがしろにする。本末転倒。きっとそこで働いている人たちも、良くないな、なんか違うなと思いながらも、それが会社のためとよかれとその時はやっているんだと思います。そして、それが明るみになった時に、やっぱりそれが間違いだったんだと。でもその時に、
「あなたたちが、決めたことじゃないか。絶対大丈夫って言ったじゃないか。我慢しろって言うから我慢したじゃないか。この先の私の人生どうしてくれるのさ。長時間労働や激務に耐えてきたこの数年を返してよ。こうする他に何か方法はなかったの・・・?。」
と思っても、残念ながら時すでに遅し。ですし、最終的にそこにいることを選んでいたのは自分なので誰を責めることもできません。
そう言えばひと昔前、“企業戦士”という言葉が使われていた時がありました。
次に続きます④。
① 全然知らないままでいた日本の歴史、戦争のこと
② 終わった後に残ったのはやり場のない憤りと虚しさ
③ 状況や時代によって変わってしまう脆い価値
④ 「何に従って生きるのか」に向き合えているか